INNOVATE NEXT [MGEO 開発秘話]

01 INNOVATE NEXT 耐震の、その先へ。

1回の巨大地震だけでなく、
繰り返す余震まで考える。

被災地で知った、
「安心」の意味

すべての住宅に、もっと大きな安心を届けたい。そんな想いから、ミサワホームでは新たな商品開発が始まった。耐震構造の戸建住宅に「制震装置」を組み込んだ、耐震+制震というミサワホーム独自の制震装置「MGEO」である。その開発当初のこと。大きな地震が起こると必ず現地を訪問してい
た制震装置の開発責任者は、あせる気持ちを抑えて広島に向かった。「万一のことがなければいいが‥。」2001年の芸予地震でのことだ。幸いにもミサワホームの建物は全壊も半壊もゼロだった
が、入居者の反応は裏腹だった。「クロスにシワや切れが発生して不安で眠れない。」というのだ。構造の専門家である彼にとって、これまで安全性とは建物の構造がしっかりしているかどうかが問題
だったが、この時、入居者の声を聞いて改めて気づいたのだった。住んでいる人は、内装被害にさえ不安を覚えてしまうのだ、と。一度の巨大地震だけでなく、何度も襲う余震まで想定した上で、すべての住宅にもっと大きな安心を届けたい。彼の想いは、より一層強
くなった。そのころ「免震ゴム」が住宅に採用され始めていたが、「免震」は戸建住宅に組み込むにはコストや条件など、制約が多すぎた。「免震ではダメだ。制震はどうだろう。」当時、制震装置はビルなどに採用され始めていたが、戸建住宅への採用は未知の
世界。しかし制震は、免震に比べはるかに低コストで、設置条件にほとんど規制がない。「もしかすると、これはいけるかもしれない。」そうして、前例のない挑戦が始まった。 ※地盤に起因する被害、地震に伴う津波や火災は除く。

最終電車でひらめいた、
MGEOの仕組み。

2004年の春、制震装置「MGEO」の中枢部分の開発に取り組んでいた担当者は苦悩していた。実際の建物を使っての実大実験まで、残された時間はわずか半年足らず。しかし何度実験しても、これといった成果が上がらない。そもそも制震とは、建物が受けた地震の
エネルギーを制震装置によって吸収し、揺れを制御するもの。だが、ミサワホームの建物自体があまりに強固なために地震の力を受け止めてしまい、制震装置に力が伝わらないのだ。とある夜、くたくたに疲れた彼は最終電車に乗り込み家路についた。
ぼんやり外を眺めていた時、テコの原理を応用したアイデアが突然舞い降りてきた。「これだ!これなら必ずうまくいくはずだ!」自宅に着くと、ティッシュペーパーの空き箱を手にとりハサミで切り始めた。驚く妻の傍で、一心に模型を仕上げていく。時計はすでに深夜3時を指していた。翌朝、空き箱で作った模型がプロジェクトメンバーの前で披露された。一同は、彼の表情とその模型を見て、
それまでの重い空気が吹き払われるのを感じたのであった。

最終手段は、阪神・淡路の
2倍を凌ぐ「2,000ガル」。

そして、制震装置「MGEO」開発の成否を左右する実大実験の当日。現場を指揮するプロジェクトリーダーはひときわ緊張して実験場に立っていた。だが、とんでもない事態が発生する。制震装置の
要である「高減衰ゴム」が作動しなかったのである。制震装置は、建物にかかる地震の力を制震ダンパーに伝え、高減衰ゴムが伸縮しながら地震エネルギーを熱エネルギーに変えて揺れを抑える。当然、高減衰ゴムが動かないと制震効果は得られないが、実は未使用の高減衰ゴムは、一度慣らしてか
ら使う必要があったのだ(※)。しかし、理由はわかってもこのままでは実験が継続できない。その時、開発担当者が意を決して発言する。「実験棟に2,000ガルの振動を与えてみては。」つまり、当初の実験予定にないほどの振動を与えて高減衰ゴムを動かそうというのだ。一同はみな反対した。
2,000ガルといえば、阪神・淡路大震災の2倍を優に超える振動だ。しかしこのままでは事態が進展しないと考えたプロジェクトリーダーは、決断を下した。どのような結果が起こるのか、全員が固唾を飲んで見守る。3・2・1、グァーン…。やがて振動がおさまったのち、メンバーが言った。
「やった!高減衰ゴムが動いたぞ!」そしてもちろん実験棟にもダメージはなかった。その後4日にわたり続けられた実大実験においても、損傷はゼロ。制震技術が実証され、住宅で初となる制震装置が誕生した瞬間であった。
(※)現在は工場出荷時に一度慣らしてから出荷しております。

東日本大震災でいただいた、
「ありがとう」のメッセージ。

2011年3月11日。日本史上、未曾有の被害をもたらした東日本大震
災の発生後、ミサワホームグループは直ちに震災対策本部と現地対
本部を設置。オーナーの安否確認と建物の被害状況について情報収集に努め、復興に向けたサポート活動を実施した。震度6以上を記録した地域のオーナーの住まいは12,000棟以上にのぼり、地震の揺れによる倒壊は見られなかったものの、津波・土地の隆起・液状化などによる建物被害が発生していた。オーナーお一人おひとりを訪ね歩き、安否と被害状況を確認する中で、とある一軒の壁に残されたメッセージを発見する。「2011.3.11 お家ありがとう 守ってくれてありがとう」それは、
ご家族の無事を喜ばれたオーナーがわざわざ残してくれたものだった。それだけではない。ヒアリングを進める中で、津波で浸水被害は受けても2.5階や3階に避難して難を逃れたというオーナーの声を多くお寄せいただいたのである。「家が押し流されるって不安はありませんでしたよ。」「親父を守ってくれたこの家に感謝しています。」ミサワホームの社員たちは、この東日本大震災を機に、改めて住まいづくりを通じて日本の自然災害リスクに立ち向かう決意を新たにしたのだった。

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